黒浜沼の河童 |
一 物語りの初め |
戦国時代の後半、荒川水系を統一した荒川河童は徳川時代に なると利根川水系の河童一族を除いては関東で二番めの勢力 となり千匹を超える一大勢力となっていた。 入間川水系や多摩水系と異なり戦闘集団として気が荒く、 武力が最高の美徳とされた。 晩春の名月の夜、一族の繁栄を願う盛大な祭りが川原で開催 されるのが恒例となっていが慶長八年の春、その年も例年通り 部族の守護神である水神に壮大なセレモニ−を捧げたあと年間 栄誉賞が次々と発表された。 予想通り今年も一位は与三郎河童で馬三頭人間の子供一人、 大人一人、川の淀みに引き込んで溺死させたことが評価された ものである。 |