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童話/民話/ショートストーリー

  



 黒浜沼の河童


 一 物語りの初め
戦国時代の後半、荒川水系を統一した荒川河童は徳川時代に
なると利根川水系の河童一族を除いては関東で二番めの勢力
となり千匹を超える一大勢力となっていた。
入間川水系や多摩水系と異なり戦闘集団として気が荒く、
武力が最高の美徳とされた。
晩春の名月の夜、一族の繁栄を願う盛大な祭りが川原で開催
されるのが恒例となっていが慶長八年の春、その年も例年通り
部族の守護神である水神に壮大なセレモニ−を捧げたあと年間
栄誉賞が次々と発表された。
予想通り今年も一位は与三郎河童で馬三頭人間の子供一人、
大人一人、川の淀みに引き込んで溺死させたことが評価された
ものである。



















 二位は馬一頭犬三匹、人間の子供一人溺死させた河童に与えられた。それぞれ馬の皮で作ったエ−ルが与えられた。こうして次々と二十
四位までが拍手と羨望のなかで栄誉が与えられた。次男の与二郎河童は式典が進む間周囲の者に軽口をたたいたりして薄い笑みを浮かべて
いた。この数年最後に発表される最高栄誉賞に自信があったためである。
「では本年度の最高栄誉賞を発表する。荒川の与二郎ッ」
 長老が一際 大きな声で与二郎河童の名を呼んだ。
「オ−」
 与二郎河童が進み出た。賞品は部族の誰もが欲しがっている白馬の尻尾である。与二郎河童が高々と白馬の尻尾を掲げると会場は暫く拍
手と歓声が鳴り止まなかった。与二郎河童と与三郎河童が上位を占めることは長老の誇りであり殆ど予想されたことであったが長老が苦虫
を噛み潰しているのは今年も肝心の長男がまた賞に漏れたことである。与太郎河童は何をやらせても二十四位どころか子供の戦闘河童にすら及ばないのである。
 戦闘河童の競泳に続いて様々な武闘大会が行なわれた。河童の武器とするカッパミサイルの模範演技や、また十メ−トル以内の生き物を
卒倒させ百メ−トル以内の生き物を暫く戦闘不能にする(ヘノカッパ)の威力等々手だれのものにより披露された。与太郎河童は今回どの
競技にも参加しなかった。長老の怒気を含んだ声が轟いた。
「与太郎何処に居る。貴様には何の技があるのだ。せめて当家に伝わる雨降らしの術でもして見せい!」
雨降らしの術は(雨ガッパ)といわれる秘術で長老の家系に伝わる門外不出の秘伝である。おどおど出てきた与太郎河童が自信なげに呪文
を唱えると月の面に半分雲がかかりはじめた。鳴りをひそめた川原の河童たちが空を見上げているとパラパラと雨が降ってきたがすぐ止ん
でしまった。月の面を覆っていた雲の一片は跡形もなくかき消え皓々とした月が川原を照らしていた。
 与二郎河童と与三郎河童が薄笑いを浮かべていた。
「ふ甲斐ない奴め、セミの小便のほうがまだマシじゃ」
 怒りをあらわにした長老が呪文を唱えるとたちまち雲が全天を覆い雷鳴が轟き女河童が悲鳴を上げるなか大粒の雨が降り注いだ。数分後
長老の烈迫の気合いが聞こえると嘘のように全天の雲が晴れ月が顔を覗かせた。あらためて長老の妖力を見せられた河童達はやんやの拍手
をおくった。
「何をしても仕様のない奴めが、せめて河童のへでもして見せい。それも出来ぬかなら家紋の恥じゃ、死んだつもりでやってみせい」
 先程の雨降らしで申し訳程度の雨しか降らせることが出来ず藻の中に隠れていた与太郎河童が長老の前におずおず進み出て言った。
「お父上、お許し下さい。一生懸命やっても私は弟達のようにはいかないのです」
「うるさい、それが名誉ある荒川家の跡取りの言うことか、河童のへさえまともにできなければ家督は取り消しじゃ。根性でやるのじゃ。
出来ると思えばできるのじゃ、やれっ」「無理だと思いますが、そうまで言われるのならその気になって頑張ってみます」

 与太郎河童は深呼吸したあと尻を突き出しウンウン唸り始めました、やがてプウという小さな音がして黄色いガスが少し出たときはかた
ずをのんでみていた河童が全員吹き出しました。
「恥晒し、この川から出ていけ、二度と顔を見せるな」
 普段青い顔をしている長老が激怒しました。笑い声はなかなか止みませんでした。戦闘河童はゲラゲラ笑い、女や子供の河童も笑ってい
ました。
 何が辛いといって、与太郎にとって仲間達や兄弟達の蔑みには慣れているものの若い女たちの笑い声には死にたくなるほど恥ずかしさを
感じました。与太郎がおずおずと顔をあげると長老は青い顔をいよいよ真っ赤にして怒り狂っていました。与太郎河童は長老河童にペコン
と頭を下げ、弟達の顔を見ましたが弟達は軽蔑の目をしてそっぽを向きました。与太郎河童は川の水に潜ると川下に息の続く限り潜り祭り
のざわめきが聞こえなくなったところで川岸に這上がりました。何処にいくあてはありませんでしたが、この川から出ていかなければなり
ません。何処かの小さな池か沼でも探して、そこに一人で住まなければなりません。そんなところが川から近くにあればいいのですが、一
キロ以上もあると頭の皿が乾いて死んでしまいます。
濡れた藻を沢山持っていこうとまこもを集めているときでした。後ろで水音がしたのでびっくりして振り返ると若い雌の河童がホホと笑っ
ていました。
それはやがて与二郎河童か与三郎河童の側室になるだろうと噂されていた美女河童のあかねではありませんか。
「俺をバカにしにここまできたの」
 与太郎河童がにらむと若い雌の河童は首をふりました。
「与太郎さん。私一緒じゃだめ?」
 与太郎河童はびっくりしました。
「からかわないでください。私は荒川家の跡取りですが、みんなに笑いものにされている出来損ないです。先程も全員の河童のまえで醜態
をさらし笑われたばかりじゃありませんか。貴方も笑っていたはずです」
「ごめんなさい。たしかに笑いましたけど、私はバカにして笑ったんじゃないの。貴方の情けなさそうな顔がおかしかっただけなの。私強
いだけの人好きじゃないのよ。このままだといずれ与二郎さんか与三郎さんのおめかけにされそうで何処かへ逃げ出したかったの。与太郎
さんは笛も上手だし優しい方みたいでまえから一緒に逃げてくれたらと思っていたのよ」
「フ−ン それでときどき俺のこと見てたのか、でも何で俺みたいのがいいの」
「私の先祖は荒川の源流の吉田川に七百年も平和に暮していたの。五十匹くらいの小さな部族だったけれどいきなり攻め込んできた赤平川
族に滅ぼされ、それから赤平川族から今の荒川家に売られてきた奴隷なの。吉田川河童は少数部族だから破れたのじゃなくて、赤平川族や
荒川家と違い戦争することを知らなかったの。吉田川河童は今の荒川河童の考えとはまるで違う考えをもっていて、人間も河童もみんなそ
のままで仲良く暮すことや一番素敵なことは力が強いことでなく、笛が上手なことや、楽しいお話ができることや、踊りの上手なひとがみ
んなにもてはやされたのよ。与太郎さんは今の一族ではバカにされているけど、私達の種族ではおおもての男性なのよ。だからずう−とま
えから好きだったの。迷惑?」
「迷惑なんて」
 与太郎河童はボーッとしてしまいました。
「でも、これから大変だよ。弟たちが追いかけてくるかもしれないし、何処かの誰もいない沼にたどり着くまで死んでしまうかもしれない
よ」
「いいわよ。与太郎さんと一緒なら。でも頑張って夜明けまで歩きましょうよ。日が出てしまうと体が乾いて一キロも歩けないわ」
 それから三時間ふたりは持ってきた藻の水を絞って頭の皿を濡らしながら歩きました。畑を越え、林を越え、雑木林では手足に引っ掻き
傷を作りながら歩いていくと夜が白む頃水の匂がました。
「見て、大きな田んぼの中に沼があるわ」

 ふたりがやっとたどりついたのは黒浜沼でした。
 丁度蓮の花ざかりでした。


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